2009年07月02日

友好使節のはずの朝鮮通信使が

また一説には、友好使節のはずの朝鮮通信使が、当時の朝鮮人と日本人の間の文化の違いからかえって偏見を生み、のちの征韓論や植民地支配に繋がったとする考えがある[16]。当時の日本人には朝鮮人の肉食文化が野蛮なものに見えたことが原因であるとし、その根拠として『画図入(えずいり)朝鮮来聘記全』内の狂詩における「通信使が寺の中に魚や肉を持ち込んで食い散らかしている」という表現、及び淀藩の資料『朝鮮人来聘記』内の朝鮮聘礼使淀城着来図の絵に描かれたうちの一部(右図)を「通信使一行が町人の飼っている鶏を盗んで逃げようとし、日本人と喧嘩になっている」様子だとしたうえで挙げている。また『朝鮮人来聘記』や『朝鮮人来朝記』といった当時の資料に、三韓征伐や秀吉の朝鮮出兵を持ち出して朝鮮通信使を朝貢使節と見なそうとしている記述があることも併せて論拠としている。
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その一方、基本的に日本人を「倭人」として見下しながらも古く室町には平仮名、片仮名と言った固有文字の存在に、江戸時代には京都、大阪、江戸といった都市の絢爛豪華さに驚いた。1420年の回礼使である宋希景は乞食が食物ではなく銭を欲しがるような貨幣経済の発達に対して驚きの声を上げた(その時の李氏朝鮮では、都市部で楮貨という紙幣が流通していた程度で、貨幣経済と呼ぶに足るものが成立しておらず、布・米を媒体とした物々交換が主であったため)といった記録が残っており、また、朝鮮で後に飢饉を救ったサツマイモ(宝暦度 1764年(宝暦14年))や揚水式水車など、日本から相応の文物を持ち帰っていたようである。特に歴代の朝鮮通信使は日本の揚水式水車に興味を示し、幾度もその構造を絵図面に写して自国に持ち帰ったものの、その後に李氏朝鮮でこの種の水車が用いられたという歴史がないことから実現はしなかったようである。ただしこのような事実は、現在の韓国の歴史認識と背反しているため、韓国側では日本側による捏造・歪曲とされることが多い。またこのような史実を日本側が主張することで、韓国側に反発が起こることも多い。

2009年06月13日

曲がった時空上の場の理論

一般に場の量子論においては平坦なミンコフスキー時空における粒子を扱うが、重力の効果を近似的(半古典的)に背景時空(曲がった時空)として導入することにより場の量子論に曲がった時空の効果を近似的に取り入れたものである。
テニス
セキュリティ
花火
仏教絵画
東北地方
壁画
日用品
セパタクロー
印刷
水球
アスペルガー症候群
学習塾
ベリーダンス
北陸地方
水彩画
恐竜
水墨画
両生類
ジオキャッシング
アニマルセラピー

重力子の影響を背景時空として近似しているため、強い重力場のもとでは時空を完全に量子化したような量子重力理論に修正されるべきである。欠点としては、時空が静的なものであるため完全には相対論的ではない。

ホーキング放射はこの理論のもとで予測された。

一般相対性原理(general principle of relativity): 物理法則は、すべての観測者(加速系にいるいないを問わず)にとって同じでなければならない。
一般共変性原理(principle of general covariance): 物理法則は、すべての座標系において同じ形式でなければならない。(最終的に成立する物理法則はテンソル形式と共変微分で書かれていなければならない)
「慣性系での自由粒子運動は測地線である(inertial motion is geodesic motion)」という原理:物理的な力を受けない粒子の描く世界線(world line)は、時空の時間的(timelike)または光的(null)測地線である。
局所的ローレンツ共変性原理 (local Lorentz invariance):特殊相対性理論の法則は、すべての慣性系の観測者に適用される。
時空は曲がっている(歪んでいる):(重力の発生原因として考える)
時空の曲率は物質に起因する:(アインシュタイン方程式として結びついた)
一般相対性理論成立の歴史上、等価原理 (equivalence principle) はスタートポイントとして考えられたが、以上の原理を満たして構築された一般相対性理論から見直すと、一般相対性原理と運動の測地線原理の2つより帰結されるものである

2009年06月09日

感染症は多種多様な分類方法がある。

伝染病
個体の感染症が同種の個体に次々と同じ感染症が広がっていきやすい病気であるというニュアンスが強い。また、伝染病によって一定の地域で感染が広がることを流行 (pandemic) という。
輸入感染症
旅行者や輸入食品を介して病原体が海外から持ち込まれ、国内では稀な感染症を生じるもの。
例:重症急性呼吸器症候群、デング熱、黄熱病
検疫伝染病
輸入感染症のうち一度国内に進入すると流行する危険のあるものは、検疫法によって検疫伝染病の指定されている。
例:コレラ、ペスト

内因感染
宿主の免疫力が低下したことによって、宿主の常在している微生物により症状を起こす場合をいう。一般的には易感染宿主に起こる日和見感染が代表的である。
詳細は日和見感染の項目を参照してください。
宿主の常在している微生物が、本来無菌状態である臓器内に進入して起こる場合をいう。これを異所性感染という。
外因感染
生体外から進入した微生物によって感染が起こるもの

寄生虫、細菌、真菌、ウイルス、異常プリオン等の病原体が、それぞれに特有の感染経路を介して生体に感染し、増殖した病原体が特有の身体部位に特有のメカニズムで攻撃することにより感染症を生じる。
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細菌感染症
レンサ球菌(A群β溶連菌、肺炎球菌など)、黄色ブドウ球菌(MSSA、MRSA)、表皮ブドウ球菌、腸球菌、リステリア、髄膜炎球菌、淋菌、病原性大腸菌(0157:H7など)、クレブシエラ(肺炎桿菌)、プロテウス、百日咳菌、緑膿菌、セラチア菌、シトロバクター、アシネトバクター、エンテロバクター、マイコプラズマ、クラミジア、クロストリジウムなどによる各種感染症
結核、コレラ、ジフテリア、赤痢、猩紅熱、炭疽、トラコーマ、梅毒 、破傷風、ハンセン病、レジオネラ、レプトスピラ、ライム病、野兎病、Q熱など
リケッチア感染症
発疹チフス、ツツガムシ病、日本紅斑熱
クラミジア感染症
トラコーマ、性器クラミジア感染症
真菌感染症
アスペルギルス症、カンジダ症、クリプトコッカス症、白癬菌症、ヒストプラズマ症、ニューモシスチス肺炎など
原虫感染症
アメーバ赤痢、マラリア、トキソプラズマ症、リーシュマニア症、クリプトスポリジウムなど
寄生虫感染症
エキノコックス症、日本住血吸虫症、フィラリア症など
ウイルス感染症
インフルエンザ、ウイルス性肝炎、ウイルス性髄膜炎、後天性免疫不全症候群 (AIDS)、成人T細胞性白血病、エボラ出血熱、黄熱、風邪症候群、狂犬病、サイトメガロウイルス感染症、重症急性呼吸器症候群 (SARS)、進行性多巣性白質脳症、水痘、帯状疱疹、手足口病、デング熱、伝染性紅斑、伝染性単核球症、天然痘、風疹、急性灰白髄炎(ポリオ)、麻疹 、咽頭結膜熱(プール熱)、マールブルグ出血熱、ハンタウイルス腎出血熱、ラッサ熱、流行性耳下腺炎、ウエストナイル熱、ヘルパンギーナ、チクングニヤ熱など
プリオン病
牛海綿状脳症 (BSE)、クールー、クロイツフェルト・ヤコブ病、致死性家族性不眠症 (FFI)、ゲルストマン・ストロイスラー・シャインカー症候群 (GSS) など

2009年04月25日

日本国内で使用される

日本語は、主に日本国内で使用される。話者人口についての調査は国内・国外を問わずいまだないが、日本の人口に基づいて考えられることが一般的である。

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日本国内に、法令上、日本語を公用語ないし国語と定める直接の規定はない。しかし、裁判所法においては「裁判所では、日本語を用いる」(同法74条)とされ、文字・活字文化振興法においては「国語」と「日本語」が同一視されており(同法3条、9条)、その他多くの法令において、日本語が唯一の公用語ないし国語であることが当然の前提とされている。実際に、法文を含めて公用文はすべて日本語のみが用いられ、学校教育では日本語が「国語」として教えられている。

日本国外では、主として、中南米(ブラジル・ペルー・ボリビア・ドミニカ共和国・パラグアイなど)やハワイなどの日本人移民のあいだに日本語の使用がみられるが[1]、3世・4世と世代が下るにしたがって日本語を話さない人が多くなっているのが実情である[2]。また、第二次世界大戦の終結以前に日本領ないし日本の勢力下にあった朝鮮半島・台湾・中国の一部・樺太(サハリン)・旧南洋諸島(現在の北マリアナ諸島・パラオ・マーシャル諸島・ミクロネシア連邦)などの地域では、日本語教育を受けた人々の中に、現在でも日本語を記憶して話す人がいる[3]。台湾では先住民の異なる部族同士の会話に日本語が用いられることがある。また、パラオのアンガウル州では日本語を公用語のひとつとして採用している[5]が、現在州内には日本語を日常会話に用いる住民は存在せず、実態上は州公用語としての役割を果たしておらず、日本との友好を示す象徴的なものに留まっている。

日本国外の日本語学習者は、韓国の約90万人、中国の約40万人、オーストラリアの約40万人をはじめ、アジア・大洋州地域を中心に約235万人となっている。日本語教育が行われている地域は、120か国と7地域に及んでいる。また、日本国内の日本語学習者は、アジア地域の約10万人を中心として約13万人となっている

2009年04月07日

シティ・ポップス

シティ・ポップスとは、日本のポピュラー音楽のジャンルのひとつ。 主に1980年代に流行した、都会的なイメージを前面に出したポップスを指す。ムード歌謡をよりポップで現代的にしたものや、高年齢層へのアピールを強く意識したソフトなロックなどの総称である。和製AORなどとも呼ばれる。

1970年代後半から、海外のAORと呼ばれるジャンルに強く影響を受けた日本人ミュージシャンが登場し始めていた。それまでの日本の若年層向けポピュラー音楽で主流だったフォーク的な要素から離れ、ポップ・ロック、R&Bやジャズ、クロスオーバー(フュージョン)などに大きく傾倒し、高度な作編曲や演奏のテクニックを駆使する音楽スタイルは、聴衆から非常に洗練された都会的なものと受け取られ、フォークやその派生物とは違うものとして、都会のポップ=“シティ・ポップス”と呼ばれるようになった。そして1981年、当時このジャンルの音楽制作において第一人者であった井上鑑がプロデュースした、寺尾聰の「ルビーの指環」が空前の大ヒットを飛ばしたことにより、こうした音楽スタイルが一般にも認知され、急速に浸透していった(もっとも、シティ・ポップスと言う呼称自体はそれほど一般化しなかった)。

“都会的で洗練された”音楽性に合わせて、歌詞世界も、それまでの“生活”や“土着的情念”“直接的社会批判”などを強く歌う傾向にあったフォークとは一線を画し、生活感の薄い無機的かつ空想的な描写や、ローカルな要素の徹底的な切り離し、豊かさを背景にした享楽的傾向、しらけ世代を象徴するようなシニシズムあるいはニヒリズムが強く表れる内容が多くなっていった。過去のロック世代の社会進出による富裕層への浸透、また高度経済成長期からバブル景気への移行過程の中での日本の社会意識の変化に乗って、シティ・ポップスは80年代中期には隆盛を極める。

だが、その後の世相の変化に伴う大衆嗜好の変容、また、テクノを大胆に導入した小室哲哉や、よりR&Bに強く接近した久保田利伸などの新進ミュージシャンの登場と活躍による音楽的流行のさらなる変化、そして第二次バンドブームの勃興に押しやられて、シティ・ポップスは90年代の訪れを待たず急速に衰退し、主要なミュージシャンはほとんどがメジャーシーンから姿を消していくことになる。しかし、このジャンルで活躍した歌手や作曲家・演奏家が、CMや映画音楽、あるいは後進への楽曲提供やプロデュースなどに活躍の場を移して行くことで、その音楽的方法論は広く受け継がれていくこととなり、後の日本のポピュラー音楽に強い影響を残した。

具体的なミュージシャンとしては、濱田金吾、安部恭弘、杉真理、山本達彦、稲垣潤一、鈴木雄大、角松敏生などが挙げられ、場合によっては山下達郎や南佳孝なども含める考え方があるが、その範囲の定義については極めてあいまいであり、語る者によって範囲が一致しないことが多い。

上記の経緯からして、フォークから発展したニューミュージックとは本来重ならないはずだが、ニューミュージックの定義もまた極めてあいまいなことから、実際にはこの2つは重ねて語られることがしばしばあり、シティ・ポップスとも呼ばれ、かつニューミュージックとも呼ばれる音楽というものも存在する。

1980年代前半には、和製ポップスという言葉がニューミュージック(の一部)とシティ・ポップスの範囲を示す言葉として用いられ、さらに1990年ごろからは歌謡曲からハードロックやクラブミュージックまでをも包含した“J-POP”という総称へと変化していく。1990年代以降はシティ・ポップスという呼称はほとんど使われなくなったが、2000年代後半に入ると、1980年代に青年期を過ごした聴衆が加齢して音楽業界、さらには社会全体の中核を担うようになり、またもともと高年齢層へのアピールを意識した音楽スタイルでもあったことから、シティ・ポップスというジャンルの再評価・再発見を行おうとする機運もある(これには2000年代の音楽産業の不振から発生した、高年齢層への販売促進の意図も多分に含まれる)。

2000年以降ではキンモクセイがシティポップスグループと自称し、キリンジなども「自分たちの音楽はシティポップスだ」という趣旨の発言を行っている。

呼称の定義 [編集]
シティ・ポップスは、「シティ・ポップ」とも呼ばれることがある。これに対しては、

前に何も付かない「ポップス」の場合には「ス」があるのに、前に「シティ」を付けると急に「ス」がなくなるのはおかしい。
「J-POP」で、「J-POPS」とは呼ばないのだから、「ス」がなくてもおかしくはない。
どうせ日本語なのだから、おかしいおかしくない、という議論自体がおかしい。要するに、どちらでもいい。
などのいろいろな意見がある。

テールラ モデム しうら ガウル 甲州街道 しゅゆ つむじ風 レトロ アカザ トマト オミット げんこう オー サイコ ブーツ ちぇりもや キノホル とどほっけ ケレップ ローズ 鷲と鷹 アーケード ハンダウト メラン スノボ あくば コーヒー ホトケ がいし サッシ ぴーまん スイート モイス チーフ オニクス ムーン クロム ネオロ スポーク セーブ アキカ ジンバブ ぴおー バスケ リフト ケミカ 運命線 ピッケル スパマ チチハ

2009年03月23日

松浦鉄道西九州線

西九州線(にしきゅうしゅうせん)は、佐賀県西松浦郡有田町の有田駅から伊万里駅、たびら平戸口駅を経て、長崎県佐世保市の佐世保駅に至る松浦鉄道の鉄道路線である。

旧国鉄特定地方交通線であった松浦線(まつうらせん)を転換して開業した路線。北松浦半島を廻り沿線市町を結んでいる。
せんぼ メカイ ママコー フリーパス ナンキ プルタブ ジャワ フロント ムラサキ ルスカ サファー ルビジウム レジス スギ シャギー フェン ピット お祭り センチ ピアニ ディー まほうの夏 ストラップ キュラ ニッツェル 鳥の巣 しらかし ケイス やはば フィン マップ はなゆ プレーボ さつま ビジー ソマト べーる リュウ ストーブ ニール バギー ブラシノキ キャップ ノータム ソリティ デプロ ハラッパー ナイル クロスプレー クロスワード

路線の半分は国道204号と並行して走っており、車窓から道路を見ることができる。 また、佐世保中央駅と中佐世保駅の間の距離は200メートルで、日本で一番短い。

佐世保市吉井町の福井川にかかっている福井川橋梁は、戦時中の鉄不足のために鉄の代わりに竹を用いて建設された可能性があり、2006年2月に工学院大学研究グループによって調査が行われたが竹は確認できなかった。しかし無いともいえないとしている。同年9月、文化審議会の答申により福井川橋梁を含む潜竜ヶ滝駅 - 吉井駅間のコンクリート橋梁3本が国の登録有形文化財になることが決まった。

路線距離(営業キロ):93.8km
軌間:1067mm
駅数:57駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:特殊自動閉塞式(電子符号照査式)
交換可能駅:蔵宿駅、夫婦石駅、伊万里駅、楠久駅、久原駅、今福駅、松浦駅、御厨駅、たびら平戸口駅、江迎鹿町駅、吉井駅、佐々駅、真申駅、相浦駅、上相浦駅、中里駅、左石駅、北佐世保駅

運行形態 [編集]
後述する快速列車を除き、すべて普通列車である。有田 - 伊万里間と伊万里 - 佐世保間の2区間に運転系統が分かれており、全線を通して運転される列車はない。後者の区間には松浦駅・たびら平戸口駅・佐々駅折り返しの区間列車もある。全体的には毎時1 - 3本程度の運転本数がある。

2006年6月1日から、佐々 - 佐世保間に通勤快速列車下り1本が設定され(途中停車駅は、小浦駅、棚方駅、上相浦駅、左石駅、佐世保中央駅)、2007年3月18日のダイヤ改正から、快速列車として上り(佐世保→佐々)3本、下り(佐々→佐世保)4本に増便された。停車駅も、上記のほか、相浦駅、大学駅、本山駅、泉福寺駅、北佐世保駅に停車する。

2008年3月15日のダイヤ改正により、夕方の佐世保 - 佐々間上り快速1本を新設、土日祝日限定で佐世保発たびら平戸口行き上り快速片道1本(佐世保 - 佐々間は他の快速と同じ停車駅、佐々 - たびら平戸口間は無停車)が登場した。

ワンマン運転を実施している。後乗り前降り方式。朝夕の一部列車は2 - 4両で運行しており、その際は各車両前部に乗務員が乗務し、運賃収受やドア確認を行っている。

2006年6月に通勤快速が設定されるまで快速列車の設定がなくなっていたが、1990年頃には伊万里 - たびら平戸口間や、2002年3月まではたびら平戸口 - 佐世保間に快速列車が設定されていた。たびら平戸口 - 佐世保間の快速列車のうち、下りはかつての準急「九十九島」(後の急行「平戸」)運転開始以来のダイヤをほぼそのまま継承しており、土休日や夏休み等にはJR車両により長崎駅まで直通運転を行っていた(JR線内は快速列車「シーサイドライナー」)。2000年3月11日ダイヤ改正時に佐世保駅高架化工事のため直通運転を休止するが、その直前の2000年1月8日からは直通運転列車に松浦鉄道のMR-500形(レトロン号)も使用され、キハ58形+キハ65形と併結されて長崎へ向かっていた。

開業時から2000年3月までは松浦鉄道車両がJR佐世保線に乗り入れて早岐駅まで直通(1992年より一部はハウステンボス駅まで延長)しており、佐世保駅高架化完成後の2002年3月23日の乗り入れ再開以降は松浦鉄道からJR佐世保線に早岐駅まで直通する列車や、JRの快速「シーサイドライナー」の一部に長崎駅から長崎本線・大村線・佐世保線を経て佐々駅まで直通運転する列車もあったが、松浦鉄道の車両の老朽化で故障が増加しているため、2006年3月18日のダイヤ改正をもってJRと松浦鉄道の相互直通運転を休止していた。その後、新型車両の導入を進めた結果、2009年3月14日より松浦鉄道からJRへの直通運転が再開された。なお、以前と運行体系が変わり、昼間に松浦鉄道側からのみたびら平戸口 - ハウステンボス間に1両編成での直通運転となる。ハウステンボス発の列車は松浦鉄道線内では快速「平戸エクスプレス」として運転されている。

2009年03月08日

近世における世界の一体化

近世における世界の一体化では、16世紀から17世紀にかけての世界が一体化する過程について言及する。16世紀には、ユーラシア大陸では東から明、サファヴィー朝、オスマン帝国の3つの帝国が鼎立しており、インド亜大陸ではバーブルによるムガル帝国の建国(1526年)、さらに、ロシアではモスクワ大公国が、ドイツではハプスブルク家がそれぞれの地域で台頭し始めていた時期であった。

一方、早期にレコンキスタを終了させていたポルトガルを皮切りに、西ヨーロッパ諸国は、次々と大西洋へと乗り出していった。1492年のコロンブスのサン・サルバドル島到達、1498年のヴァスコ・ダ・ガマの喜望峰到達は、これまでの貿易構造を大きく変化させる原因となった。

ユーラシア大陸の16世紀は活気に満ちた時代だった。
トラン パラグ ピロティ 桂うり プラン マーガリン シング サラウンド シャン リネージ バージニ コルホーズ ハンドア ロサク 天体議会 てきか フェンディ ドメーヌ ロココ サファ みつば 最遊記 リーター ささぶね ノリウッド パパイン ライン 江戸手拭 フォビア ズクロー ツイザー 時計台の鐘 オーラン ラグビー ハッチ びわ乃 ティモール ワイン プーリー タッチ トゥク がらいろ ナリア こだわり ばんか チョオ 星の衣 レイヤ ハナキ かくの

日本では織田信長と豊臣秀吉によって国内の統一が進展。東アジアでは明が国際秩序の中心にあり、前世紀に比べれば翳りがみられるものの経済も繁栄し、朝鮮王国や琉球王国は明の冊封体制下で政治的安定をみていた。北ユーラシアでは、イヴァン4世(雷帝)が「全ロシアのツァーリ(皇帝)」を称して、モスクワ大公国からロシア帝国へと脱皮した。

南アジアのムガル朝、イラン高原を本拠とするサファヴィー朝、アナトリア西部に誕生したオスマン帝国は、いずれもトルコ系遊牧騎馬民の軍事力を背景にして建国し、土着化し、勢力を伸ばしたイスラーム王朝であり、それぞれ政治的に安定し、文化が栄え、その首都は繁栄した。そこにはまた、それぞれの豊かな物産を求めて多くの外国商人も訪れていた。なかでもオスマン帝国は、1453年、千年以上続き難攻不落とされた東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(イスタンブル)を陥落させたのち急速に領土を拡大した。スレイマン1世治下の1529年にはハンガリー平原をこえてウィーンを包囲し、その晩年には西アジア、北アフリカ、バルカン半島にまたがる大帝国となって、ヨーロッパのキリスト教世界に恐怖をあたえた。その一方、スレイマン1世は1536年にフランスのフランソワ1世に恩恵としてカピチュレーションを与えた。オスマン帝国は1579年、エリザベス1世治下のイングランドにもカピチュレーションを与えている。

ルネサンスの時代をむかえていたヨーロッパは、繁栄するアジアに豊かな物産を求め、地中海域の東半を支配したオスマン帝国をさけて大西洋に新しい航路を求めた。

アジアの物産のなかでも、十字軍以来イスラーム世界を通じてヨーロッパに知られ、高緯度地方の長い冬の食肉保存と味付けに必要となっていった香辛料は人びとに渇望された。当時の香辛料はきわめて高価で、同じ重さの銀と交換されるほどだったという。

ルネサンス期のイタリアでは地理学や天文学に関する知識が急速に広まり、帆船、羅針盤、火砲についても、その実用化が進展していた。航海術も発達し、15世紀のイタリアの天文・地理学者トスカネッリは地球球体説を主張した。また、1494年ルカ・パチョーリはその著『スムマ』のなかで複式簿記を紹介しており、それ以後、ヨーロッパ各地で広く行われるようになった。

一方、かつてイスラーム勢力の支配下にあったイベリア半島はキリスト教徒による再征服事業(レコンキスタ)が1492年をもって完了し、ポルトガルとスペインの王や貴族たちは競って海外に進出し、キリスト教の布教に熱心に取り組んだ。

大西洋からアフリカ西岸を大陸づたいに南下し、喜望峰を経由してインドのカリカットに到達したポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマ、スペイン女王イサベル1世の後援により大西洋を横断してサン・サルバドル島に到達し、のちにアメリカ大陸の「発見」者と呼ばれたクリストファー・コロンブス、自身はポルトガル人だったがスペイン王カルロス1世の支援をうけて人類最初の世界周航をなしとげたフェルディナンド・マゼラン(フェルナン・デ・マガリャンイス)一行などの活躍したこの時代を、大航海時代と呼んでいる。

当時の南北アメリカには、先史時代にアジアからベーリング海峡を渡った人々が独自の文明を発達させ、15世紀にはインカ帝国、アステカ王国や都市マヤパンが栄えていた。いずれも馬や鉄器を伴わなかったものの、インカやアステカはトウモロコシとジャガイモを主穀とする農業、暦そして神殿や石造建築などが高度に発達した強大な専制国家だった。

しかし、16世紀前半にスペインはインカ帝国にフランシスコ・ピサロ、アステカ王国にはエルナン・コルテスなどのコンキスタドールを送り込み、かれらの謀略や鉄砲、馬、またヨーロッパからもたらされた伝染病によって両国は滅んだ。探検の時代から征服の時代となった。なお、新大陸は「発見」当初インドの一部だと考えられ、そこの住民はインディオ(スペイン語)・インディアン(英語)と呼ばれた。これはともに「インド人」の意味である。

ポルトガルとスペインによる新航路開拓と海外領土獲得競争が白熱化すると、両国間に激しい紛争が発生した。さらに他のヨーロッパ諸国が海外進出を開始したため、独占体制の崩壊に危機感をつのらせた両国は、仲介をローマ教皇に依頼して、1493年に大西洋上に教皇による分界線(教皇子午線)を定めたのち、1494年にトルデシリャス条約、1529年にサラゴサ条約を締結して、それぞれの勢力範囲を決定して既得権を防衛しようと図った。

2009年02月19日

クラップ

クラップは、アニメ映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『機動戦士ガンダムF91』、TVアニメ『機動戦士Vガンダム』、漫画『機動戦士クロスボーンガンダム』、小説『機動戦士ガンダムUC』に登場した架空の兵器で、宇宙巡洋艦である。
マザーグ ロリータ あんずいろ ラウオル すないろ ブレザー ブリタ ブルジョア ドレス タジン スイート こるてーぜ ハザード ソフィア シャタカイ ロンド モーリ ルッコラ マジョル ドット 寒玉日本 フッラ アルマジ マドリード メーター ディレク 紅ほっぺ パパンサ スーツ きんしゃ チザン ミオシン ティン ドーマン ケイソウ きしょうてん スミレ ルーキー カムロ ハーフセ リフレッ オーバー おみたま ボジェット ヒイラギ スコー タチSEO マトーダ グッドア チェスト

第二次ネオ・ジオン抗争においてロンド・ベル隊所属の艦艇。全長292m、全幅133m。旗艦ラー・カイラムに随伴してネオ・ジオン軍と交戦した。

地球連邦軍の艦艇としては初めてモビルスーツの運用を前提に設計されており、サラミス級に代わる主力艦艇である。クラップ級の形状は同世代の機動戦艦ラー・カイラム級と似たものとなっており、通常用と戦闘用の二つのブリッジを持つ点も共通している。就役がラー・カイラム級と同時期とあって、長らく地球連邦軍の主力巡洋艦として運用される。

クラップ級1番艦「クラップ」はルナツーでのネオ・ジオン艦隊の武装解除に参加したが、ネオ・ジオン部隊に襲撃された。その際に艦長、地球連邦代表団のアデナウアー・パラヤらが戦死したが、反撃でクェス・パラヤ搭乗のヤクト・ドーガを損傷させている。クラップは応急修理の上、後にブライト・ノア指揮するロンド・ベル本隊と合流している。

同型艦
ラー・カイム
ラー・キェム
ラー・チャター
ラー・ザイム
ラー・エルム
ロンド・ベル隊の所属艦。ラー・チャターはアクシズにおける最終攻防戦で、ラー・カイラムの盾となって撃沈されている。なお、ラー・キェムに関してはラー・ギエムあるいはラー・ケイムとする資料もある。ラー・ザイムの艦長はマシアス・テスタ少佐。小説『ハイ・ストリーマー』において、スウィート・ウォーター内に艦を入港させ、反連邦セクト・エグムとの戦闘を敢行。結果住民に死者を出す不祥事を引き起こしている。
キャロット
テネンバウム
小説『機動戦士ガンダムUC』に登場。また、同作品では『機動戦士ガンダムZZ』に登場したネェル・アーガマがクラップ級と共通規格のパーツを組み込まれ改装された姿で登場。推進器まわりなどがクラップ級に酷似したかたちに変化している。

スペース・アーク級
クラップ級の改装艦であるが、放熱板の排除やカタパルトデッキの拡幅化などの設計変更が施され、全長も249mと小型化されているのが特徴である。これらの艦を「クラップ級」と紹介している資料もあるが、外観に大幅な変化がみられる事などから、別のクラスとして分類される場合も少なくない。

スペース・アーク
アニメ映画『機動戦士ガンダムF91』には、練習艦スペース・アークが登場する。原型艦であるクラップ級の進宙後30年以上経過しており、クロスボーン・バンガードの最新鋭艦と比べて相当見劣りする艦であるが、サナリィの最新鋭機であるF91の運用に耐える設備を持っていた。

劇中では、F91の運用試験のためフロンティアIコロニーを訪れていたところをクロスボーン・バンガードの襲撃に巻き込まれる。シーブックたち難民を収容する一方、レジスタンスの拠点としての役割も担い、かつてのホワイトベースのように新兵と徴用民間人ばかりの艦ではあったが、無事にフロンティアIコロニーを脱出した。艦長代行はレアリー・エドベリ。

搭載MS
F91 ガンダムF91
RGM-109 ヘビーガン

ブレイウッド
ブレイウッドは、『機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91』に登場する、スペース・アークの同型艦でアナハイムエレクトロニクス所有の民間船である。元のスペース・アーク級より更に小型で、全長は160mほどとなっている。シルエットフォーミュラプロジェクトに関連する試作MSを搭載し、運用試験を実施していた。連邦軍の輸送艦コロンブスを模した偽装が施されている。基本的に民間の所有物であるため、(基本的に)武装などは施されていない(後にメガ粒子砲を隠し持っている事が判明)。元連邦軍大佐であるアイトール・ホルストが指揮を執る。

搭載MS
RX-F91 シルエットガンダム
RGM-111 ハーディガン
F71B Gキャノンマグナ

リーンホース
リーンホースは、TVアニメ『機動戦士Vガンダム』に登場する、スペース・アークの同型艦で、旧式艦である。リガ・ミリティアに協力した連邦軍のうちのひとつで、開戦初期にアイルランドのロンドンデリー駐屯地よりリガ・ミリティアに派遣され、カミオン隊に合流している(小説版ではアレキサンドリア級)。

原型艦であるクラップ級の進宙から60年が経過。老朽化していたが、リガ・ミリティアの中核として各地を転戦した。カイラス・ギリー攻防戦では攻撃部隊の中核となって奮戦するも大破。大改修が行われリーンホースJr.となった。

艦長は連邦軍所属の大尉であるロベルト・ゴメス。

リーンホースJr.
リーンホースJr.は、カイラスギリー攻略戦で損傷したリーンホースとガウンランドを鹵獲したスクイード1の主艦体に載せるような形で大改修したもので、単独でも大気圏突入・離脱を行うことができるという、最新艦艇と比較しても遜色のない高性能を誇る機動戦艦となった。

主な兵装は2連装メガ粒子砲6基(旧リーンホースもしくはガウンランドのものが両舷上下に各1基、旧スクイード1のものが艦底に2基)、MSカタパルト3基(旧リーンホース艦首部に1基(艦尾には着艦専用デッキ)、旧スクイード1のものが艦底左右に各1基)、本体舷側部左右に装備された2連装対空機関砲、艦首ビームシールドを前方に収束展開して突撃するビームラムがある(スーパーロボット大戦においては、ハイパー・メガ粒子砲まで搭載されている)。

エンジェル・ハイロゥをめぐる決戦では、被弾した左舷エンジンを切り離した後、乗員である老人たちが若者に未来を託して敵戦艦アドラステアに特攻をしかけ、それを阻止しようとしたMS部隊の猛攻撃によって艦橋を破壊されながらも敵艦を巻き込んだ大爆発によってモトラッド艦隊を全滅させた。

運用期間は他のシリーズの艦船に比べて格段に短いが、その壮絶な散り様やスマートな艦形などから未だに根強い人気を持つ。

搭載MS
LM312V04 ヴィクトリーガンダム
LM312V04+SD-VB03A Vダッシュガンダム
LM312V06 Vガンダムヘキサ
LM312V06+SD-VB03A Vダッシュガンダムヘキサ
LM111E02 ガンイージ
LM111E03 ガンブラスター
LM314V21 V2ガンダム
LM314V23 V2バスターガンダム
LM314V24 V2アサルトガンダム
LM314V23/24 V2アサルトバスターガンダム
RGM-122 ジャベリン

キャリー・ベース
キャリー・ベースは、ゲームソフト『SDガンダム GGENERATIONシリーズ』に登場するスペース・アークの同型艦で、スペース・アーク同様、練習艦である。

艦体色はオレンジ色。バランスは取れているが、全体的に見ると力不足であるという設定。ユニットとしても取り立てて優秀ではなく、ごく普通の戦艦である。

初期搭載MS
トルネードガンダム×3
GGF-001 フェニックスガンダム

2009年02月03日

肝付氏(きもつきし)は大隅の戦国大名

本姓は伴氏である。平安時代に伴兼行が薩摩国惣追捕使に任命されて下向した。子の兼貞は大隅国肝属郡の弁済使となり、その子の兼俊の代に郡名を取って肝付を名乗った。南北朝時代には南朝方に属し、北朝方と戦った。南北朝の争乱が一段落した後は島津氏に服属していたが、戦国時代に入ると領土問題から島津氏と対立し、日向の伊東氏と手を結んで島津氏と争う。
サルカ おれたち レンソ ステキな レッスンプ モラル ハート バイオポ キックボ カーヒー テガシワ ビュル テープデ ブークレ バーキ ヒートシン カタル スノーソ シーディー スカラー ヒデリコ ステル トローチ ブレス カナリア プネー フリップ ジャイプ せんこう サミング セント レナン クジャク ダイレ リード ユーブ ピーク ぶるーべ ドライフ ドック フルガイド案 けーるナビ クローシス バーベル トロツ ビット ドラッグ 夢海峡 風のシア バスタ

肝付氏第16代当主を継いだ肝付兼続は名将で、竹原山の戦いで島津忠将(島津貴久の弟)を討ち取ったり、志布志郡を奪取したりなどして、一時的には島津氏を圧倒していたが、永禄8年(1566年)、島津軍の反攻に遭って自害してしまった(ただし、自殺を否定する説もある)。これにより、肝付氏は急速に衰退してゆく。

その後、肝付氏第18代当主を継いだ肝付兼亮は、父の復讐を果たさんと島津氏に反抗したが、天正元年(1573年)、それをかえって親島津氏の家臣たちと義母・御南(島津貴久の姉)に反対されて、当主の座を追われてしまうこととなる。

その後、肝付氏第19代当主に擁立された肝付兼護は、天正2年(1574年)に島津氏に臣従して、家名こそ存続することはできたが、天正8年(1580年)には領地も没収されて、島津氏の一家臣となる。これにより、大名としての肝付氏は滅亡したのである。

慶長5年(1600年)、関ケ原の戦いで兼護が討死し、子孫は薩摩藩士として存続した。家格小番。

なお、庶流は早くから島津氏に仕えて重用され、江戸期には喜入領主、家格一所持として存続した。なお、同家より小松帯刀がでる。その他の庶流も薩摩藩士、佐土原藩士として多くが残っている。ドラえもんの二代目スネ夫役で有名な声優の肝付兼太(本名:肝付兼正)は、肝付氏の末裔といわれる。


肝付氏歴代当主
肝付兼俊
肝付兼経
肝付兼益
肝付兼員
肝付兼石
肝付兼藤
肝付兼尚
肝付兼重
肝付秋兼
肝付兼氏
肝付兼元
肝付兼忠
肝付兼連
肝付兼久
肝付兼興
肝付兼続
肝付良兼
肝付兼亮
肝付兼護
肝付兼幸
肝付兼康(新納忠秀の子)
肝付兼親(兼康の子)
肝付年兼(兼親の子)
肝付経験(年兼の子)
肝付治兼(経験の子)
肝付兼群(比志島範幸の次男)
肝付兼命(九良賀野生母の次男)
肝付兼明(検見崎五右衛門の子。検見崎氏は初代肝付兼俊の子兼友を祖とする)
肝付兼施(兼明の子)
肝付兼寛(兼施の子)
肝付兼亮(兼寛の子)
肝付兼冬(兼亮の子)
肝付兼遠(兼冬の子)

肝付氏庶流
肝付兼光
肝付兼固
肝付兼演
肝付兼盛
肝付兼行

系図
太線は実子、細線は養子。
┣━━━━━━━━━━━━┓
兼連           兼光
┃            ┃  
兼久           兼固
┣━━━┓        ┃
兼興  兼軌       兼演       
┃            ┃ 
兼続           兼盛
┣━━━┳━━━┓    ┃
良兼  兼亮  兼護   兼篤
        ┃    ┃
        兼幸   兼武 
庶家
北原氏

薬丸氏

薬丸兼将
薬丸兼成
安楽氏

安楽兼寛
梅北氏

頴娃氏

関連諸家
伊地知氏

伊地知重興
禰寝氏(後の小松氏)

禰寝清年
禰寝重長
禰寝重張

大隅国(おおすみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった国の一つである。西海道に含まれ、その領域は現在の鹿児島県の東部と奄美諸島にあたる。隅州(ぐうしゅう)と呼ばれることもある(大和国と重複を避けるため二文字目を取っている)。延喜式での格は中国、遠国。

和銅6年(713年)4月3日に、日向国の肝杯郡、囎唹郡、大隅郡、姶羅郡の四郡を分けて設けられた。この姶羅郡は、現在の鹿屋市旧吾平町周辺を指し、後に肝属郡に編入された。現在の姶良郡は、始羅(しら)郡がこの姶羅と混同されたための名称である。また、菱苅郡(現在の伊佐郡菱刈町周辺)・桑原郡(姶良郡湧水町周辺)・始羅郡(姶良郡姶良町周辺)は、成立当初の囎唹郡に含まれる。

天長元年(824年)10月1日に、現在の屋久島と種子島にあたる多禰国をあわせた。明治12年(1879年)、奄美諸島(大島郡)を編入した。明治30年(1897年)には、現在の三島村、十島村地域が薩摩国川辺郡から大島郡に編入された。(以下は令制国が現在でも法的に廃止されていないと解した場合の記述である)太平洋戦争後、大島郡(三島村地域を除く)はアメリカ統治下に置かれたが、昭和27年(1952年)には十島村(トカラ列島)が、次いで昭和28年(1953年)に残る奄美諸島地域が日本に返還されたことにより、大隅国に復帰した。しかし昭和48年(1973年)には、三島村、十島村が鹿児島郡(旧薩摩国)へ移行離脱した。

国府・一宮など
国府は色葉字類抄によると、桑原郡。拾芥抄および易林本の節用集では、贈於郡とある。

現在の霧島市(旧国分市)にあったと推測されているが、遺跡はまだ見つかっていない。

延喜式神名帳には以下の大社1座1社・小社4座4社の計5座5社が記載されている。

桑原郡 鹿児島神社(現 鹿児島神宮、霧島市隼人町内) 大社
曽於郡 大穴持神社(霧島市国分広瀬) 小社
曽於郡 宮浦神社(霧島市福山町) 小社
曽於郡 韓國宇豆峯神社(霧島市国分上井) 小社
馭謨郡 益救神社(熊毛郡屋久島町宮ノ浦) 小社
一宮は鹿児島神社(現 鹿児島神宮)で、二宮以下は不詳である。総社は祓戸神社(霧島市国分府中)とされるが明証がない。

守護
鎌倉幕府
1197年?1203年 - 島津忠久
1217年?1224年 - 北条義時
1225年?1245年 - 北条朝時
1250年?1272年 - 北条時章
1283年?1291年 - 千葉宗胤
1295年?1317年 - 北条時直
1323年?1333年 - 北条師頼

室町幕府
1333年?1363年 - 島津貞久
1363年?1376年 - 島津氏久
1376年?? - 今川貞世
1391年?1411年 - 島津元久
1411年?1425年 - 島津久豊
1425年?1470年 - 島津忠国
1470年?1474年 - 島津立久
1474年?1507年 - 島津忠昌
1507年?1515年 - 島津忠治
1515年?1519年 - 島津忠隆
1519年?1527年 - 島津勝久
1527年?1566年 - 島津貴久

国司
大隅守
織田信広
九鬼嘉隆
島津忠恒 薩摩藩初代藩主
小出三尹 和泉陶器藩初代藩主。
小出有棟 和泉陶器藩第2代藩主。
小出有重 和泉陶器藩第3代藩主。


菱苅郡
桑原郡
始羅郡
囎唹郡
肝属郡
大隅郡
馭謨郡
熊毛郡
大島郡

2009年01月20日

丸太を刳り貫いて作る「丸木舟」の場合

一本の丸太を刳り貫いて作る「丸木舟」の場合、丸太を水に浮かべて自然に水面上に出る側を上にして、中を刳り貫いていくことで船の形状を彫り出していく。

さらに地域によっては、吃水より上の部分に板材を重ねばりする事で、大型化したものも作られている(学術的にはタナ発達と呼ばれる)。特に大洋州や東南アジアでは、丸太を削りだした船底にバウやスターン、ガンネルとなる部材を結縛した縫合船が広く用いられている。日本列島においても近世以前にはこうした構造を持つカヌーが数多く用いられていたが、近代以降、木材の払底やFRP船の普及によって姿を消した。

また日本列島においては船底をはぎ合わせる技法が発達した。こうした構造はムダマハギとかシキ構造と呼ばれるものである。一見すると板材を貼り合わせた構造に見える場合もあるが、学術的には「必ず1本の丸太から2つの船底材を削り出し、はぎ合わせる」という点を重視し、刳り船に含めている。さらにこうした削り出しの船底材の間にチョウと呼ばれるセンターピースを挿入する工法も存在している。

主に寒冷地で使われたスキンボートでは、木材などによって構成した骨組みに、防水処置を施した獣皮や布、樹皮(樺の樹皮などがよく使われたらしい)などを張って船体を作る。

近年では合成樹脂、合板+グラスファイバーなどで船体を建造する例も多い。

シングルブレード・パドルとダブルブレード・パドル
使われるパドルの違いで言えば、幅が広めでオープンデッキのカナディアンカヌー系のボートは、水を掻く部分が片側だけに付いたシングルブレードパドルで漕ぐ事が普通で、クローズドデッキで幅が狭い傾向にあるカヤック系のボートでは両端に水掻の付いたダブルブレードパドルを利用する事が一般的である。またオセアニアのパドルは地域により様々な形状がある。

カナディアンカヌー
カヤック
リバーカヤック
クローズドデッキ
シットオントップ
シーカヤック
クローズドデッキ
シットオントップ
シングル・アウトリガー・カヌー(オセアニア、マダガスカル島等に分布)
伝統的な木造カヌー
競技艇(OC-1/V1、OC-4/V4、OC-6/V6)
セイリング・カヌー(パドリングではなく帆走によって航行するもの)
航海カヌー(セイリング・カヌーの中でも大型で、数名の乗員と数トンの荷物を載せ、数百キロメートル以上の外洋航海が可能なもの。ミクロネシア、メラネシア、域外ポリネシアで主に用いられる。マウ・ピアイルックによれば、カロリン諸島の航海カヌーは通常、9日間の航海が可能であるとされる。船体、デッキ、ナヴィゲーター・ルームの構造は地域によって大きく異なる)
ダブル・アウトリガー・カヌー(東南アジア島嶼部で広く用いられる)
ワカ・タウア(マオリが用いる長大な戦闘用カヌー。アウトリガーは装着されない。船体に美しい彫刻が施され、この彫刻は近年では芸術の一種と考えられている。また最近ではこの種のカヌーは観光用にも用いられている)
ダブル・カヌー(ほとんどが航海カヌーで、シングル・アウトリガーの航海カヌーよりも乗員数、積載能力、航続距離に優れ、無寄港で一か月強、数千キロメートルの外洋航海を行うことも可能。主にポリネシアで用いられる)
この分類におさまりきらないもの

サーフスキー
サーフカヤック
ポロカヤック
ラフト
ダッキー
川旅
遠洋航海
ナビワジ マーモ リカー 一刻千金 トベラ シャン フック トロピ アームロ サリドマ ビーツ ヨーク アンダー みみず クマザ ワラルー レース 結の的 サーチ バルコニー スキタイ ナビ凪笛 ドライアイ ぬくもり ローラム サンゴ トポロ ソナタ レモンバ ブリーフ ソバ国内 ボイル キキーモラ リーブ オブザ スルタン けんばん 水たまり トパーズ ムンク セラミド シーレー よいち シロップ ふだい プライ サルベージ ショート ファジー ファーム

競技
フリースタイル(カヌー・カヤック)
ホワイトウォーターロデオ(フリースタイル)
サーフカヤック
スクウォート
クリーキング
ビッグウォーター
ストライド
シットオントップ
セーリングカヌー
スラローム(オリンピック競技)
ワイルドウォーター
フラットウォーターレーシング(オリンピック競技)
カヌーポロ
(以上は日本カヌー連盟、国際カヌー連盟が統括する競技)

アウトリガーカヌー(OC-1,OC-2,OC-3,OC-4,OC-6,DC-12あるいはV1,V2,V3,V4,V6,V12)
アウトリガーカヌー競技はエリア毎に伝統に根ざしたルールでの競技団体が存在する。
これらの競技団体の国際的な統括組織として80年のロサンゼルスオリンピックを契機に設立されたのがInternational Polynesian Canoe Federation(現在のInternational Va'a Federation)である。
競技用アウトリガーカヌーは、左側にアマを持つこと、シングルブレードのパドルを用いることが特徴である。
近年、ハワイ、北米といったエリアではOC1またはOC2にラダーを取り付けたものが主流となっているが、国際的にはラダー無しが標準である。
国際ヴァア連盟内では、オセアニアを植民地化し抑圧・搾取を行った欧米文化への抵抗感、さらには単なる競技種目でなく民族固有の文化であるというプライドから、オリンピックを頂点とする国際的なスポーツへの迎合を良しとしない風潮もある。

国際交流
1998年よりハワイにおいて国際カヌーフェスティヴァルInternational Festival of Canoesが毎年開催され、ポリネシアを中心として世界各国からカヌービルダーが集まって交流を深めている。このイベントには日本からもアイヌのカヌービルダーが参加したことがある(2004年)。

また、4年ごとに各地で開催されている太平洋芸術祭Festival of Pacific Artsでも、カヌー関連のイベントは重要なものとなっており、1992年にクック諸島のラロトンガ島で行われた第6回大会では、大会のテーマそのものが「太平洋諸島民の航海の伝統」とされ、各地から航海カヌーが集結した。

さらに1996年にはニュージーランドのオークランドで、「航海カヌー・シンポジウム」が開催された。